2019年05月24日

対馬の旅リポートその9 「朝鮮通信使と雨森芳洲」

儒学者雨森芳洲の墓

対馬はいつも朝鮮と日本の間に挟まれて苦労をしてきました。藩主宗氏はその仲立ち役を果たしてきました。途中秀吉の朝鮮出兵で朝鮮との関係が途絶えた後も、家康の時代になってから関係修復を命令されます。苦労の挙句、対馬藩取り潰しの危険を冒してまで独自の判断で双方の国書を改ざんし、関係修復を果たします。雨森芳洲は対馬の人ではありませんが、新井白石らとともに木下順庵の高弟で当時の日本では最も朝鮮語と支那語が堪能だったといわれています。対馬藩に派遣され、誠実な人柄でもっぱら朝鮮通信使の応接役として対馬と江戸の間を随行し、双方から信頼を得ていました。墓は対馬市の長寿院の一番高い場所にあります。

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2019年05月23日

対馬の旅リポートその8 「対馬はなんじゃもんじゃの島」

対馬はヒトツバタゴの島


花の時期は4月下旬。島の北部には3000本の自生の群生地があります。そこまでいかなくてもいたるところにヒトツバタゴ(別名なんじゃもんじゃ)が植えてあります。道路沿いの街路樹、大きな民家の庭木、公園など白い花が満開でみごとでした。モクセイ科の大陸性の樹木で対馬市の木に指定されています。朝鮮半島からわずか60キロ弱、大陸との強いつながりが感じられます。


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2019年05月20日

対馬の旅リポートその7 「対馬は国の最前線」

対馬は国の最前線

地勢的宿命でもありますが、対馬という島の側面の一つは国の最前線ということ。白村江の戦いの頃から、元と高麗の連合軍による全島の蹂躙と大量の島民拉致、秀吉の朝鮮出兵後の守り、日清日露戦争など。島のあちこちにある砦や砲台などの遺構は、その時代時代に国の運命を背負っていたことを物語っています。とりわけ大規模な突貫工事で日本海海戦に備えた写真の万関瀬戸は、海峡の守りに大きな役割を果たしました。それでも泊まった宿の主人は、どこかの属国にならないよう国の守りをしっかりやってほしいと言っていました。対馬は一方で、朝鮮通信使による我が国との交流にも大きな貢献をしています。


万関瀬戸

軍艦が通ることのできる島の中部を東から西に抜けることのできる万関瀬戸は、天然の良港浅茅湾を船が東西に航行できることになり、軍事上大きな意味を持つことになりました。日露戦争時に対馬海峡に軍艦や水雷艇を出撃させるため開削されました。万関橋の上に立ってみると足がすくみそうで、岩を削っての開削工事は突貫作業でさぞかし大工事だっただろうと想像できます。

この万関瀬戸と島の至る所に作られた砲台は、対馬海峡全体を射程内に納めて制海権を確保していました。日露戦争以後はこの海域が戦場になることはありませんでした。
(写真3枚目まで)万関瀬戸

(写真4枚目以降)異国の見える丘展望台


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2019年05月16日

対馬の旅リポートその6 「あめのかみたくづだまじんじゃ」

天神多久頭魂神社

対馬の側面のひとつは神社の島。実はここが一番印象に残りました。境内に立っていると体がビリビリしてきて不思議な気分になる場所でした。

あめのかみたくづだまじんじゃと読みます。島の北西部、佐護川の河口付近にあります。このあたりが島で唯一の水田地帯で、水稲の田んぼが広がっています。クルマのナビと携帯の地図と両方を駆使して周辺を探しまくりました。指している場所は近くなのに行けば道が行き止まりだったりポイントがいっこうに近くならない。携帯マップは時々とんでもない場所を指したりする。あちこち迷った挙句、あきらめかけた時に突然目の前に古ぼけた鳥居が現われてきました。この神社は鳥居はあるものの社殿がない。古い祭祀形態だそうで、石を積み上げた2〜3メートルぐらいの磐境(いわさか)が二つあり、これを結界としてその奥に遥拝所、磐座(いわくら)がつくられています。そういえば宗像大社の奥の院、高宮祭場も社殿がなく磐座が置かれただけでした。後ろにあるうっそうとした原始林、天道山がご神体で、ツシマヤマネコが住む森となっています。エネルギーをいただきました。


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2019年05月14日

対馬の旅リポートその5 「海神神社」

海神神社

島の中西部、木坂湾の入り口にある対馬国の一宮で神功皇后ゆかりの神社。本来はわたつみ神社と読むらしいのですが、和多都美神社と区別するため、かいじん神社と読ませています。

野鳥観察の場所になっているうっそうとした森の中を歩くと長い石段があります。やっと上ったと思ったら、そこから折れ曲がってさらにまた石段が続いた山の上に本殿があります。

7年前、ここから国の重要文化財の新羅仏「銅造如来立像」が盗まれました。後日これは返還されましたが、もう一つ近くの観音寺の高麗仏「金銅観世音菩薩坐像」は戻っていません。司馬遼太郎によると、対馬の仏像は火中の痕があるものが多く、李氏朝鮮がやった徹底的な廃仏毀釈と多分に関係があるのではないか。当時日本は室町の貿易時代であり、仏寺や仏像を焼いているのを見て、廃棄するならと対馬人が持ち帰ったものではないだろうか。倭寇や秀吉の侵略軍がいくら乱暴でも寺に火をかけてからわざわざ火中仏を持ち出すような面倒なことはしないだろう。と「対馬のみち」では書いています。

境内の入り口には新しい宝物館が建てられていました。

近くの海岸には、旧暦6月に行われ天道信仰と収穫祭が習合したといわれるヤクマ祭の名残り、ヤクマの塔と呼ばれる不思議な石積みが二つありました。

まさに対馬は海民の島、神社の島です。


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