2019年05月31日

対馬の旅リポートその12 「ヤクマの塔と藻小屋」

ヤクマの塔と藻小屋

対馬の中部、峰町の海神神社の隣の海岸、木坂の御前浜にヤクマの塔と呼ばれる高さ2.5メートル、円錐形の石積みが二つありました。毎年、旧暦の6月の初午の日、団子や豆餅をお供えをして家内安全や収穫を祈願する行事だそうです。我が国の民間信仰のなかでも古くから伝承される珍しいお祭りのようです。

防波堤を挟んだ陸側には、藻小屋と呼ばれる石で作った室がいくつもあります。海から引き揚げた海藻をここに貯蔵し、肥料にしたのだそうです。ヤクマの塔も藻小屋もかつては全島にあったそうですが、今はここだけで見られる不思議な光景です。

司馬遼太郎の「壱岐・対馬のみち」によると、海神神社とここ御前浜の向こう60キロ先には巨済島の島影が見えるそうですが、その日は曇りで何も見えませんでした。


IMG_4440.JPG IMG_4436.JPG IMG_4441.JPG IMG_4437.JPG

web拍手 by FC2 posted by en-book at 21:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 縁人のひとりごと

2019年05月30日

対馬の旅リポートその11 「諫鼓(かんこ)」

諫鼓(かんこ)

領主に諫言する時に鳴らす諫鼓だそうです。この鼓が不要で鳥がとまる状態を閑古鳥が鳴くというのだそうで。宗家の墓所である対馬市の万松院の庭先にありました。

IMG_4502.JPG

web拍手 by FC2 posted by en-book at 21:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 縁人のひとりごと

2019年05月27日

対馬の旅リポートその10 「対馬は韓国人観光客の島」

対馬は韓国人観光客の島

博多から壱岐まで1時間。壱岐から対馬まで1時間ですが、プサンからも高速船でわずか1時間。対馬の人でも食事や映画を楽しみに気軽に韓国まで出かけることも多いようです。もちろん歴史的にも半島とのつながりは強く、日本国との間に立って苦労してきた過去があります。戦後、李承晩大統領は対馬は歴史的に見て韓国領土だと主張したこともあったそうです。今でもそう思う韓国人は多いかもしれません。町の看板や道路標示などあらゆるものがハングルと併記、あるいはハングルのみで表示してあり、ここはどこかと錯覚してしまいそうです。観光客は日本人より韓国人の方がはるかに多く、大勢の団体で買い物や主要な観光地巡りをしています。

IMG_4483.JPG IMG_4529.JPG

web拍手 by FC2 posted by en-book at 17:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 縁人のひとりごと

2019年05月24日

対馬の旅リポートその9 「朝鮮通信使と雨森芳洲」

儒学者雨森芳洲の墓

対馬はいつも朝鮮と日本の間に挟まれて苦労をしてきました。藩主宗氏はその仲立ち役を果たしてきました。途中秀吉の朝鮮出兵で朝鮮との関係が途絶えた後も、家康の時代になってから関係修復を命令されます。苦労の挙句、対馬藩取り潰しの危険を冒してまで独自の判断で双方の国書を改ざんし、関係修復を果たします。雨森芳洲は対馬の人ではありませんが、新井白石らとともに木下順庵の高弟で当時の日本では最も朝鮮語と支那語が堪能だったといわれています。対馬藩に派遣され、誠実な人柄でもっぱら朝鮮通信使の応接役として対馬と江戸の間を随行し、双方から信頼を得ていました。墓は対馬市の長寿院の一番高い場所にあります。

IMG_4471.JPG IMG_4472.JPG IMG_4474.JPG IMG_4477.JPG


web拍手 by FC2 posted by en-book at 16:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 縁人のひとりごと

2019年05月23日

対馬の旅リポートその8 「対馬はなんじゃもんじゃの島」

対馬はヒトツバタゴの島


花の時期は4月下旬。島の北部には3000本の自生の群生地があります。そこまでいかなくてもいたるところにヒトツバタゴ(別名なんじゃもんじゃ)が植えてあります。道路沿いの街路樹、大きな民家の庭木、公園など白い花が満開でみごとでした。モクセイ科の大陸性の樹木で対馬市の木に指定されています。朝鮮半島からわずか60キロ弱、大陸との強いつながりが感じられます。


IMG_4467.JPG IMG_4450.JPG IMG_4489.JPG

web拍手 by FC2 posted by en-book at 14:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 縁人のひとりごと