2016年07月19日

会社のゴーヤ成長記録D

梅雨も明けました。平成28年7月19日の会社のゴーヤです。これぐらいになると窓の日差しが大分緩和されて、省エネ効果ありですね。結構良い型のゴーヤがなっているのでそろそろ収穫です。(縁人100号)

ゴーヤ7月19日.JPG
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2016年07月12日

栄光の70’s(80)

梅雨は明けていなかった・・・。今日も曇り空で、朝からムシムシでいやになってくる。
僕たちは日々の生活に追われているが、巷の子供たちはもうすぐやってくる夏休みに胸おどらされているんだろうな。まもなくスタンプカードをぶらさげた子供たちと朝すれちがう季節がやってくる。

さて、先週の続き。あの頃松江市内に「大劇横丁」とよばれた一角があり、飲み屋さん・パチ屋・ポルノ専門の映画館などが密集していた。特にパチ屋は「サンヨー」「ニューナショナル」「ばらホール」「名人荘」、はずれたところに「ナショナル会館」と、小さめのホールが隣同士で営業していた。それプラス先週話していたジャンキュウ屋さん(本当はスマートボール屋さん)ともう一軒アレンジボール屋さん(店の名前わすれた)があったと記憶している。

たまに行くジャンキュウで楽しんでいたのだが、いつだったか話していた浪人時代の友達の中に「山ちゃん」というやつがいて、彼こそ僕が最初に出会ったセミプロ級のパチンカーであった。もちろん同学年の同い年であるが、「サンヨー」主にネグラとし、すでにホール内でもいっぱしのパチプロのオーラをはなっていた。彼の日課は9時に下宿屋を出発、予備校にはいかずホール前に並ぶ。そして10時の開店と同時に狙いを定めたパチ台の釘をチェックする・・・・とまあこんな具合で、午前中に一台打ち止めさせてから、午後の予備校にちょこっと顔をだすといったものだった。
彼の得意としていたのは「アレンジボール」というやつで、雀球みたいなものだった。しかし、彼の勝ち方はチョコレート・たばこ専門のセコイ僕とは違い、打ち止めまで持っていき、3,000円〜4,000円也の現金収入となるものであった。「え〜たったそれだけ?」と思うかもしれないが、今から40年も前の話である。しかももとでは100円から200円程度(つぎこんでも1,000円まで)なので、いいバイトになっていたのだ。

ある日、その一角からちょっと離れたところにあった「カタクラ」(ボーリング場・ビリヤード・レストランなどもいっしょになっていた)が新装開店する情報が入ってきた。当時の新装開店は今どきの2〜3台新台入れて釘も開けずにやるようなもとは違い、ホールのほとんどのパチ台が新しいものになり、釘もパカッと開き僕たちを迎えてくれたのだ。特にカタクラはよく出すという情報で、山ちゃんと僕は夕方開店(5時だったか6時だったか・・・?)をめざしてならぶことにした。それもなんと昼からである。まあ勉強もせず、こんなことばっかりやっていたんだから、失敗するはずだよね。
その甲斐あって、3日間通い続け、連日打ち止めまでもって行った(特に初日は打ち止め一番乗りだった)。
もちろん山ちゃんも連日連勝でめでたしめでたしと相成った。

実はこの時生まれて初めてパチンコで打ち止めまでもっていけたのです。
山ちゃんのおかげ!

(さらにつづく)
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2016年07月11日

会社のゴーヤ 成長記録C

平成28年7月11日の会社のゴーヤです。大分成長して、窓の上のほうまで到達しました。花も結構咲いています。
これぐらいになると、多少「ゴーヤのカーテン」効果もあるかもしれませんね。(縁人100号)

ゴーヤ7.11.JPG

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2016年07月06日

栄光の70’s(79)

梅雨が明けたようだ。しかし2〜3日後からまた曇りや雨マークがついているが、これは台風1号の影響かな?
不思議なもので、朝晩の音が違う。自然の生き物たちの方が一番わかっているのか、夏本番の到来をおしえてくれる。夏休みを楽しみにしていたこの時期、あの頃が懐かしく思えてくる。間もなく、スタンプカードをぶらさげた小学生と朝すれ違う季節となるのか・・・・一年なんて早いものだ。

我が家の長男はエアコンの時期になって、忙しい日々を送っている。人間不思議なもので、暑くならないとエアコンをどうのこうのとならないらしい。長男曰く「シーズンオフの時に買って設置すれば、もっと安くてすむのに」とのこと。当然といえば当然である。

さて、本日はアミューズメント・・・そう「パチンコ屋さん」。
僕が独身の頃はエアコンなど部屋になく、暑い夏など「涼」を求めるところといえば、ばっちりとクーラーのきいたパチ屋さんということになっていた(当時はエアコンではなくクーラーといっていたよねえ)。
僕が最初にパチ屋に入店したのは浪人時代の1977年春。当時はアミューズメントなんてカッコイイ言葉はなく店内に入ると、強面のお兄ちゃんやおっさんの定員がいて、お客よりいばっていた。まあいわゆる、客商売じゃあなくて、やくざなばくち場っていうところかな。当然カウンターに可愛い女の子なんかいるわけもなく、くたびれたおばちゃんがすわっていた。

パチンコ台といえば、フィーバーなんてものはあるわけもなく、手打ちと電動ハンドル(現在の形)が半々で設置されていた。サンドウィッチなんてなくて、玉を借りるのは「補給機」が別にあって、そこでお金を払って借りるシステムだった(ここでひとつ、パチンコは玉を買うんじゃなくて、借りた玉で遊技をして、出た玉を店に買ってもらう仕組みということはご存じでしたか?)。

中学生の頃ゲームコーナーにあった手打ちのパチンコは何回かしたことがあったので、その感覚でやってみたのだが、まったくうまくいかなかった。ましてや、初の電動ハンドルの機械なんて、あっという間に玉が亡くなってしまう気がして(出ることは考えていなかった)、怖くて手が出せない。

そんな時出会ったのが「ジャンキュウ」というアレンジボール。どう説明していいのかわからないが、1回16個の玉をはじいて、麻雀のメンツかなんかが揃うとコインが出てくる仕組みで、そのコインを景品と交換する形になっていた。当然、何個かのポイントとなる個所の釘はしめられて入りにくくされていて、そこをクリアして役を揃えていくゲームで、当時の僕にはピッタリであった。しかし、勝ってもせいぜいチョコレートかタバコ何個かていどのもので、今のように大金をつぎ込むものではなかった。

その程度の遊び方しかしていなかったのだが、一人の予備校生と保険屋外交のおばちゃんとバイト先の一個上のお兄ちゃんとの出会いが、その後の僕に変化をもたらすことになる(大袈裟だが、結構おもろいので今後に期待して!)。
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