2015年03月23日

栄光の70’s(40)

春分の日もすぎ、春らしくなってきた(今日は寒かったけど)。
先週末はお彼岸ということもあり、実家に帰ってきた。道中、我が母校三刀屋高校ちかくの国道沿いの桜並木はすでに蕾も膨らみ、そろそろ開花しそうな様子であった。そして、ボンボリの設置も完了し花見シーズンを待つばかりとなっていた。
今から約40年前、このボンボリの設置の手伝いに駆り出されたことが懐かしく思い出される。

中学校卒業と同時に僕は三刀屋町内の某書店でアルバイトを始めていた。その書店はちょっと変わっていて、酒の卸販売やレコード販売もしていた。よって、仕事の内容はバラエティに富んでいた。自転車での週刊誌などの配達はもちろん、酒の配達の手伝い(ドライブインの2Fに酒10本入りの箱を運ぶのが辛かった)、レコード店の店番(これが一番楽しかった!)。そして季節は入学シーズンということもあり、教科書販売(よその学校の一日入学)の手伝いにも行った。
そんなある日「ボンボリの設置の手伝いに行ってよ。お弁当が出るから!」と、僕の司令塔だったおばちゃんから指示があった。「お弁当」の一言で二つ返事で引き受けた。というのも、当時「仕出し弁当」なんていうシロモノはめったに口に入るものではなかった。仕出し=ご馳走の方程式が僕の頭の中には存在していた。
案の定、作業は楽チンで、他の会社やお店の親父さんやおばちゃんたちにからかわれながら無事終了。そして待ちに待ったお弁当の配布。そこにはめったに見ないプラスチックの容器に入ったお茶(昔駅弁なんかと一緒に売っていたやつ)までついていた。
その場でみんなは食べなかったので、僕もバイト先まで持ち帰ってのご賞味となった。その中身については全く覚えていないが、ほとんど初めて口にする仕出し弁当は格別のものだった。ただ、量的に育ちざかりの僕には全然足りなかったように覚えている。

今の子供たちは幼いころからファストフードやコンビニのなんやかんやで育っていて、こんな話は理解できないかもしれない。しかし、僕たちの70年代の田舎は、まだそんなに物もなく、ほとんどが手作りで生活していた。そんな時代だったからこそ、鮮やかにあの頃のことが思い出されるのではないだろうか。

あれから40年がたち、今見る桜の木は大きく立派に成長していた。
僕もこの桜のように成長できたのだろうか?

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