2016年07月06日

栄光の70’s(79)

梅雨が明けたようだ。しかし2〜3日後からまた曇りや雨マークがついているが、これは台風1号の影響かな?
不思議なもので、朝晩の音が違う。自然の生き物たちの方が一番わかっているのか、夏本番の到来をおしえてくれる。夏休みを楽しみにしていたこの時期、あの頃が懐かしく思えてくる。間もなく、スタンプカードをぶらさげた小学生と朝すれ違う季節となるのか・・・・一年なんて早いものだ。

我が家の長男はエアコンの時期になって、忙しい日々を送っている。人間不思議なもので、暑くならないとエアコンをどうのこうのとならないらしい。長男曰く「シーズンオフの時に買って設置すれば、もっと安くてすむのに」とのこと。当然といえば当然である。

さて、本日はアミューズメント・・・そう「パチンコ屋さん」。
僕が独身の頃はエアコンなど部屋になく、暑い夏など「涼」を求めるところといえば、ばっちりとクーラーのきいたパチ屋さんということになっていた(当時はエアコンではなくクーラーといっていたよねえ)。
僕が最初にパチ屋に入店したのは浪人時代の1977年春。当時はアミューズメントなんてカッコイイ言葉はなく店内に入ると、強面のお兄ちゃんやおっさんの定員がいて、お客よりいばっていた。まあいわゆる、客商売じゃあなくて、やくざなばくち場っていうところかな。当然カウンターに可愛い女の子なんかいるわけもなく、くたびれたおばちゃんがすわっていた。

パチンコ台といえば、フィーバーなんてものはあるわけもなく、手打ちと電動ハンドル(現在の形)が半々で設置されていた。サンドウィッチなんてなくて、玉を借りるのは「補給機」が別にあって、そこでお金を払って借りるシステムだった(ここでひとつ、パチンコは玉を買うんじゃなくて、借りた玉で遊技をして、出た玉を店に買ってもらう仕組みということはご存じでしたか?)。

中学生の頃ゲームコーナーにあった手打ちのパチンコは何回かしたことがあったので、その感覚でやってみたのだが、まったくうまくいかなかった。ましてや、初の電動ハンドルの機械なんて、あっという間に玉が亡くなってしまう気がして(出ることは考えていなかった)、怖くて手が出せない。

そんな時出会ったのが「ジャンキュウ」というアレンジボール。どう説明していいのかわからないが、1回16個の玉をはじいて、麻雀のメンツかなんかが揃うとコインが出てくる仕組みで、そのコインを景品と交換する形になっていた。当然、何個かのポイントとなる個所の釘はしめられて入りにくくされていて、そこをクリアして役を揃えていくゲームで、当時の僕にはピッタリであった。しかし、勝ってもせいぜいチョコレートかタバコ何個かていどのもので、今のように大金をつぎ込むものではなかった。

その程度の遊び方しかしていなかったのだが、一人の予備校生と保険屋外交のおばちゃんとバイト先の一個上のお兄ちゃんとの出会いが、その後の僕に変化をもたらすことになる(大袈裟だが、結構おもろいので今後に期待して!)。
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