2019年05月24日

対馬の旅リポートその9 「朝鮮通信使と雨森芳洲」

儒学者雨森芳洲の墓

対馬はいつも朝鮮と日本の間に挟まれて苦労をしてきました。藩主宗氏はその仲立ち役を果たしてきました。途中秀吉の朝鮮出兵で朝鮮との関係が途絶えた後も、家康の時代になってから関係修復を命令されます。苦労の挙句、対馬藩取り潰しの危険を冒してまで独自の判断で双方の国書を改ざんし、関係修復を果たします。雨森芳洲は対馬の人ではありませんが、新井白石らとともに木下順庵の高弟で当時の日本では最も朝鮮語と支那語が堪能だったといわれています。対馬藩に派遣され、誠実な人柄でもっぱら朝鮮通信使の応接役として対馬と江戸の間を随行し、双方から信頼を得ていました。墓は対馬市の長寿院の一番高い場所にあります。

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