2015年08月17日

栄光の70’s(58)

お盆もすぎ、ここのところ気温が(というより湿度?)変わってきた。
吹く風がどことなく涼しく、朝晩がめっきり過ごしやすくなった。お盆休みはほとんど実家にいたのだが、夜なんぞ窓も締め切り、毛布を準備してのご就寝でありました。秋が近いねえ〜。
お盆の間には、いつだったか話していた彼女のお墓のあるお寺にも久々に行ってきた。もうあれから35年になるのではないだろうか?こっちはすっかり中年の親父になっているのに、アイツの記憶は若くて可愛いまんまだ。あっちの世界でどうしているのだろうか?僕もあっちへ行くのはそう遠くないのかなあ〜?(親父は62歳で亡くなった)などと良からぬ思いに耽ってしまった。
まあ人間は生きてナンボ!僕なりに楽しくやっていきましょ!
といったところで、今日は長淵の剛さん。

「好きです好きです心から〜」
僕が崇拝する拓郎様に次いで好きだった彼の2回目のデビューシングル「巡恋歌」が発売されたのが78年の秋だった(好きだった、というのは、最近は・・というよりちょっと前から、何かついていけなくった)。
しかし、僕は大して興味を持っていなかった。何となく拓郎様の二番煎じ的な感じがして、どーでもいいや的に思っていたのである。それがなんで聴くようになったか。
それは、いつだったかお話しした、死んだあの子が好きだったからである。
彼とうまくいっていないことが書かれていた手紙の中で、凄くいい曲で「この曲を聴くと涙が出てくる」と彼女は言っていた。そんなら、僕も聴いてやろうじゃないかと聴いたのが始まりだった。
聴いた最初の感想は「なんかナヨッチイ歌だなあ」だった。だが、翌年に発売されたアルバム「風は南から」で一変することとなるのである。

そして、今でも心に残る名曲「祈り」が79年7月にリリースされた。
この曲は彼の実体験の曲であり(というか、彼の詩には作り話がない)、昔の恋人が自殺をしてしまい、その彼女への惜別の詩であった。最初歌詞は曲用に作られた物語かと思っていたが、実話と知ってびっくりした。
その重い内容の詩は、ストレートに青春真っ只中の僕の心にしみた。

当時の彼は、肩まで伸びたさらさらのロングヘアーに細身でかっこよかった。ボーカルも高音がきれいだった。そして何よりギターが上手く、ギター1本の弾き語りスタイルも僕は大好きだった。
初めて生で観たときのその迫力というか、凄味のあるライブに驚いたのも事実だった。

「順子」のヒットでメジャーになったけど、決定打は「とんぼ」かなあ。
そうそう、僕の結婚披露宴のキャンドルサービスは、当時まだ世間一般的でなかった「乾杯」を使ったんだっけ。式場になくて、自前のカセットテープを持ち込んでお願いしたのである。

そんな剛さんにめぐり合わせてくれたのは彼女だった。
だが、「祈り」が出て間もなく、その彼女がその詩のように、天女のように空へかえってしまうとその時は思いもしなかった。僕と彼女は男女の関係ではなかったが、この詩がダブってくるのである。
僕の独りよがりかもしれないが、この曲を聴くたびにあの頃を思い出し、悔しさを覚える。

もう一度、彼女にに聴かせてやりたいなあ。
いや、どっかで聴いているかもね。
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2015年08月11日

栄光の70’s(57)

気が付けば8月も半ば近くなった。今週はお盆か〜。
甲子園では連日猛暑の中、高校生球児たちの奮闘が繰り広げられている。しかし、異変というか、以前の頃では信じられない事態が起こっている。
それは、四国勢4校がすべて1回戦敗退。
僕たちの子供の頃は、高松商・松山商・高知商・徳島商と四国各県に全国優勝校がひしめき、その後も「爽やかイレブン」「やまびこ打線」で一世を風靡した、蔦監督率いる池田高校など、大阪・神奈川・広島・愛知の代表とともに決勝戦の常連だった。
北海道や東北の代表が四国勢に勝ったりすると、それは天変地異!それこそ十両力士が横綱を倒したようなものだった(ちょっと大袈裟?)。
今頃は私立校が全国から生徒を集めたり、屋内施設などの練習環境も充実して、全国のレベルの差がなくなっているのだろう。

甲子園でもう一つ。
早稲田実業の一年生・清宮君が騒がれている。久々に登場したモンスターである。早実にはかつて荒木大輔が1年生エースで甲子園デビュー、あれよあれよという間に決勝戦まで進んだ。決勝では愛甲投手(彼もまた1年生当時から騒がれていた)率いる横浜高校に敗れはしたものの、その甘いルックスも相まって大輔フィーバーが起こっていた(その年に生まれた男の子の命名は大輔が一番多かった)。
しかしながら、僕にとっての一番の1年生モンスターは「原辰徳」。そう、にっくき読売Gアンツの現監督である。彼のデビューは僕にとって超鮮烈であった。

その年の夏休みバレー部に期間限定入部し、逆立ち歩きができずに悪戦苦闘していた自分に比べ、彼は強豪東海大相模のレギュラーで、しかも4番!誕生日も同じ7月(彼は22日で僕が数日お兄さんだった)!その差に唖然としたもんだった。当然の如く応援はしないし、「三振してしまえ」「エラーしちゃえ」などと、心の狭い見方しかしなかった。
しかし、不思議なもんで、プロ選手になっていろいろ叩かれる彼を見ていくうちにやはり同世代、どことなく好きになっていった。よって、読売軍団は大嫌いだが、原辰徳は好きな人である。王や長嶋の後を受け、本当に苦労したと思う。それを全く表に出さない彼は尊敬すべき同世代である。
しかし、ペナントレースは別。虎軍団になんとか踏ん張ってもらって叩き落としてほしいものだ。

さてさて今年の夏の甲子園、いったいどこが優勝するのやら?
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2015年08月04日

栄光の70’s(56)

猛烈に暑い日が続く。まったく「オ〜オ〜モ〜レツ!」である(古いかな!?)。
休日の外仕事なども、早朝か陽が沈みかけた夕方しかできない。日中直射の中なんて絶対無理!
日曜日など11時前まで外にいたのだが、実家までの200m程度の上り坂が足が鉛のように重くなり、やっとのことでたどり着くありさまだった。飲んだ飲料水は述べ5時間で2ℓ!しかしこれでも足りなかったらしく、足がつりそうになっていた。特に直射の脅威は凄まじいものだ。

考えてみれば、僕たちの学校時代の部活は「水分の補給は厳禁」だった。飲むと汗が余計に出るとか、疲れやすいとか、訳のわからん理由だったように思う。今からしてみれば想像もつかないことである。もっとも気温自体も5°℃・・・いや、それ以上違うかもしれない。
僕が子供の頃は30℃になる日はほとんどなかったし、湿度も今ほどではなかったのかもしれない。遊びに出かける時だって、飲み物持参なんてこともなかったし、それで一日中遊びまわっても「熱中症」になるやつなんて、僕の周りにはいなかった。それに日常に「日射病」という言葉は存在したが、「熱中症」なんて言葉は存在しなかった。

人間たちがこれからもこんな生活を続けていけば、日本も赤道直下のような気候になってしまうのだろうか?今存在している人々がいなくなった頃の地球はどうなっているのだろうか?
何も変わりないかもしれないが、それに越したことはないのだろう。

まだもう少し暑い日が続くらしい。
暑中お見舞い申し上げます。
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2015年07月27日

栄光の70’s(55)

猛烈に暑い日が続く。
24日は土用の丑の日。八束町にあるうなぎ料理の店に勤務する家内は先週は大忙しだったようだ。特に24日の朝は、僕が起きた5時過ぎにはすでに姿がなかった。本当にお疲れ様!

20日の祝日には我が母校の応援に松江市営球場まで出かけた。実家の同じ自治会の長男坊が4番でキャッチャーということもあり、久々に球場まで行っての応援となった。結果は惜しくも及ばず敗退となったが、暑い中選手たちは本当に頑張ったと思う。
今や大リーグで活躍する和田投手を擁する浜田高校との決勝戦の応援に行って以来、久しぶりにスタンドからの母校の応援は実にワクワクするものだった。やっぱり野球は球場で観るに限るねえ。

さらに思い起こせば昭和53年(1978年)入社1年目の夏、母校対松江商業の決勝戦(場所は浜山球場だったが)。2対2で迎えた9回裏、母校はノーアウト(ワンアウトだったっけ?)満塁のチャンスを迎えた。ここでバッターへの初球がいきなりデッドボール!サヨナラ!に、見えた。いや、どー見てもデッドボールだった。しかし、審判のジャッジは「ファール」。当然バッターはアピールすると、確かにあたった痕跡があったらしい。
そこで、協議の末にでたジャッジがなんとも「ノーカウント」!
これは僕の記憶違いかもしれないが、それにしても信じられらないジャッジだったように記憶している。
そして、仕切り直しの1球目に出たサインが「スクイズ」(これは、あとで臨時コーチをしていた同級生から聞いた)。満塁でのスクイズはちょっと危険だが、初球にそんなボールを投げていたこともあり、必ずストライクを取りに来るだろうという、一種の奇襲作戦だったかもしれない。これがめでたく成功!我が母校は初の甲子園出場の栄冠を手にしたのである。
あのサヨナラで優勝を決めた瞬間の感動は今でも覚えている。

甲子園ではぼろ負けだったが、嬉しい思い出のひとつである。
特に甲子園球場に掲げられた「がっしょでぎばめ!」の横断幕は当時は恥ずかしく思えたが、今となっては何となく誇らしくも思えるのは何故だろう。
やっぱり暑い夏は、甲子園なんだろうね。
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2015年07月13日

栄光の70’s(54)

先週誕生日を迎えてしまい、57歳と相成ってしまった。じいさんになったもんだ。
珍しく全員集合(大学に行ってる四男坊を除いて)で賑やかな宴会となった。息子の嫁さんたちも色々気を使ってくれて、ありがたい限りである。何でもないことのようで、これが一番の幸せかもしれないね。

先週は爽やかなんてほざいていたのだが、ここにきていきなり猛暑だ。台風の影響なのだろうが、土日の暑さ(いや湿度の高さかな?)たるや凄まじく、農作業をする我が身に脅威として襲いかかり、熱中症寸前まで追い込まれてしまった。60歳前になったのだから気をつけねば・・・。

7月も中旬となり、世間は(というか子供たち)夏休みムード満載になっている。期末試験も終わり、球技大会やらなんやで一番ワクワクする頃なんだよねえ。懐かしいなあ〜。
ホントこの季節になると、あの「夏休み」の曲が頭の中を駆け巡るんだよな。

中学校の頃の夏休みのお楽しみのひとつに「夜釣り」があった。釣りといっても山の中なので、川釣りということになるのだが、友達数人と行く夜釣りは当時「校則違反」ということもあり、ちょっとしたスリルもあった。しかし周辺には民家もなく、国道から10m以上も下を流れる川沿いとあって、誰にも迷惑かけることもなく、通報されることもなかった。
夜釣りの日は、家族が寝静まりはじめた深夜22時過ぎ頃から開始された。それぞれに我が家をするすると抜け出し、お決まりの場所に集合。ラジオ・お菓子(ここだけの話だが、お酒を持ち出してくる奴もいた)なんか色々持ち寄っての、まあ「夜釣り」とは名ばかりで、深夜放送を聴いたり、女の子のことを話したりと宴会みたいなもんだった。そして、早朝5時頃になると、それぞれ帰路につくのである。
しかし、真剣に釣りをする奴もいたんだよな。その場所の近くには小さなダムがあって、その横の何段にもなった水路を上ってくる鰻を槍でついて獲るツワモノもいて(本当の話!)、拍手喝采だった。

僕は基本的に釣りが好きではなかったのだが、この一時だけはたまらなく楽しい時間だった。
川で泳ぎだす奴(よく事故にならんかったもんだ)や歌いだす奴、参考書を持ってくる奴に寝る奴(何しに来とんじゃ!)やら個性溢れるメンツだったなあ。昼間遊んでる奴らもいたが、この夜釣りだけ一緒の奴らもいて、この時が大好きだった。そうそう、「エサだ」とか言って持ってきたソーセージ(もちろん魚肉)を自分のエサにしてしまう奴もいたよなあ(おっと僕もでした)。

今は川の形態も変わってしまって、その場所ではもう釣りなんぞできない状態になっている。
でも、この季節に車でそこを通ると、あの頃の声が聞こえてくる気がするのだ。
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