2014年09月01日

年をとる、ということ

先日、ダウンタウン 松本人志の父親が亡くなったというニュースが報道されました。
父親の譲一さんは何度かテレビに出演したこともあったので、ニュース番組でも往時のことが取り上げられていました。

松本人志は、過去にラジオでこんなことを言っています。
年をとるとは、どういう感覚か。

年齢を重ねるにつれて、「自分の部屋」(間合い)が広くなっていく。だから、人と接する際に余裕が生まれる(良い意味でも、悪い意味でも)。
それがある一定の年齢を超えると、「部屋」が広くなりすぎて、宴会場みたいな広い部屋に一人ポツンと居座り、部屋一面が障子で仕切られる状態になる。
そうすると他人が傍で話をしていても、「隣の部屋で何か話し声がするわい」という感覚になるんじゃないか。

というような話でした。障子というのがポイントです。
他の部屋の灯りがついているようで、ぼんやりとしている。声は障子紙に遮られ、わずかに聞こえるとはいうものの、こちらに話しかけているか曖昧である。
一昨年前に亡くなった私の祖父の姿を思い返すと、確かにそういう感覚が分かるような気がします。

年をとる とはどういうことでしょう。

先日、生命保険の相談で「窓口」まで行きました。
20代の健康な自分が、70代の自分を大層気遣っていました。70代の私なんてどこにいるんでしょうかね。
とても不思議な時間でした。(縁人18号)
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2014年08月04日

宙に浮かんだポスト

先日車を運転しておりましたら、左手にクレーン車の姿が見えました。
クレーン車は小さい頃から好きです。大きな車体の先に付いたクレーンで慎重に作業をするスリリングな様は、
最後まで見届けないといけないではないか、という不思議な使命感を湧かせます。
目の前で信号が赤になり、これでしばらく様子が窺えるわいと思っていた矢先、クレーンの先に目がいきました。

クレーンに吊られていたのは ポスト でした。
真っ赤な一本足のポストです。
私は宙に浮くポストを生まれて初めて見ました。どうやら道路の拡幅工事で、ポストを移植?させているようです。

認識するまでに数秒かかったでしょうか。ポストはぶらりとクレーンの先で揺れています。
地面からもぎ取られた一本足の姿は、見ないでくれといわんばかりの体裁で酷く頼りなく、また不恰好でした。
普段はあれだけ堂々と構えているのです。
私は、何だか弱みを握った気分になりました。あの活気のよい赤色もむしろ裏目にでているようです。
バンジージャンプで回収されている時の感じでした。

・・・ここまで書いて誤解を生みそうですが、
私は、ポストにまったく恨みなどありません。
これからも頼りにしています。(縁人18号)
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2014年07月11日

顔が火照った文豪

7月9日、作家の川端康成が暮らした神奈川県鎌倉市の自宅から、初恋の相手とされる伊藤初代と交わした書簡計11通が見つかったことがニュースで報道されました。
見つかった川端の手紙は、婚約後に突然連絡が取れなくなった初代を心配する内容で、
「毎日、毎日、心配で心配で寝られない」
「恋しくって恋しくって早く會わないと僕は何も手につかない」
ということが書いてあったそうです。

川端康成がこの報道を聞いたら・・・

メディアでは以下のように紹介されていました。
「およそ600文字の飾らない文章がつづられています」
「しかし、手紙には日付が入っておらず、川端が書いたものの、何らかの理由で投函されずに手元に残っていたと考えられています」

・・・ノーベル賞作家、ピーンチ。

というようなことを皆さん思いませんでしたか。私はついつい「康成、ドンマイ」と思ってしまいました。
今回のように、作家の「残された私的な資料」の発見はたまに報道されることがありますが、その報道が世間の批判対象になることはありません。いま煩いプライバシー云々といった話も故人には縁がないようです。
「貴重な資料」だとかいわれて重宝されます。

作家側からすると、公表したくないから公表してないのでしょう。
しかし、絶対に他人の目に触れさせたくないのであれば、破棄なり何なりとして世の中から抹殺するはずです。
ということは、「破棄できない理由」があって、且つ公表しないモノとして手元に保存しているということです。
研究者はその「理由」を作品と結びつけて作家を語ろうとするのですから、貴重な資料といわれるのも当然かもしれません。「破棄できない理由」には多分に「文学的」な要素が含まれると考えられるからです。

さて、作家たちは
死後、公表される可能性がある
ということを鑑みて資料を残すことがあるのでしょうか。

遺品整理を生前に行う「終活」という言葉が一時期話題になりました。
一般の方の遺品が(親族を除いて)公表されることはありませんから、何かしらの整理はするにせよ、死後のことを気にする必要はなさそうです。
それでは、作家はどうか。研究対象となりうることを自覚するのでしょうか。現代では自他共にその意識が強くなっているように思います。
著名であればあるほど、生活は表現の一部となって、私物は貴重な資料となります。世間は放っておきません。
今回の手紙は「文豪」が残したモノでしょうか。私は、赤面しながら口を一文字に結ぶ川端康成がいてほしいです。

作家とそうでない人の違いはどこにあるのでしょう。
これから「文豪」が生まれにくい時代になっていくのは間違いなさそうです。
(縁人18号)





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2014年07月01日

しじみの注意事項

先ほど、お昼ご飯にインスタントのしじみの味噌汁を食べておりましたら、包装袋にこんな注意書きがありました。

「殻は食べられません」

・・・大変な時代ですね。

しかし、厳密には「食べられます」よね。書くのであれば、
「殻は食べようと思えば食べれますが、お口を損傷された場合は当方は一切の責任を負いません」
となるのでしょうか。はたまた、
「縄文時代より、殻は食べられてきていません」
というのはいかがでしょう。

よく言われる話ですが、この「表記」が読める人には必要ない注意書きの一つですね。
それでも文句がでるのでしょう。
そのうち、「殻を飲み込む」という事件が起きて訴訟に発展し・・・行く末はしじみ汁18禁とか、第2類医薬品みたいに販売が限定されるかもしれません。

しじみ汁よりシビアな世相を垣間見た縁人18号でした。
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2014年06月20日

愛してやまない「コメディアン」のおはなし

最近は「芸人」をテレビで見ない日はありませんが、「コメディアン」はめっきり観なくなったような気がします。
ここでいう「コメディアン」とは喜劇を演じる俳優のことです。
「芸人」とはどう違うのか、と問われますと「演じる」ところにコメディアンの本質があるように思いますが、難しい話になりそうなので何かの本でお調べ下さい。

かつて、コメディアンの活躍する場は舞台や映画でした。
日本でいうと、劇団で全国を巡回したエンタツ・アチャコ、チャップリンを崇拝していた古川ロッパ、元祖無責任男の植木等(変な紹介ですね)、今でも数多くの芸人から尊敬を集める藤山寛美、それから何といってもドリフターズでしょうか。

海外では、チャップリン、バスター・キートン、ハロルド・ロイドなどなど・・・挙げればキリがないですが、彼らの作品は今でもレンタルDVDで観ることができます。
冒頭に、「コメディアン」はめっきり観なくなったような気がすると書きましたが、そういえば、私が上記のコメディアンを観たのはいずれもDVDやパソコンからでした。今あなたおいくつですか、と言われても仕方ない感じの書き方をしてすみません。

彼らが登場する「喜劇」というのは、それはそれはもう大変なもので、私なんかでは語りつくせないほどの魅力があります。
単に「面白い笑い」だけではありません。
21世紀にも残るコメディアンの喜劇には、共通して笑い+αが表されています。
それは「悲壮感」だと思うのです。

例えば、
夜を徹しておこなわれ、バカ騒ぎで盛り上がった座敷の宴会会場から、これでお開きとトボトボ帰る中年男性の廊下を歩く後ろ姿・・・。
次のシーンでは、その身に「悲しい出来事(笑える場面)」が起こるも、そこで映し出される、気丈に雄々しく立派に振る舞うようす、その時の表情!!・・・コレです。
これが私の言いたい悲壮感なのですが、お分かりになって頂けるでしょうか。
おもしろうて、やがて悲しき というやつです。

この感覚が好きで、学生時代にむさぼるように「コメディ映画」を観ていました。
次回は、私の最も好きなコメディアン「マルクス兄弟(ブラザース)」について書こうと思っております。
半端になってしまいましたが、次回へつづく・・・(縁人18号)

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